三宝とは

●下市町(大和三宝工業協同組合)の三宝とは

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 三宝は、神仏に祈りをささげる際に献上物や供物を載せる台として使用されるものです。一般家庭では、神棚に供物を捧げる時やお正月のお鏡餅などを載せる台として使用されます。


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 日本国内の三宝の約80%から90%は、奈良県の吉野郡下市町で製造されています。奈良県吉野郡下市町は、古くから吉野の玄関口として栄え、吉野地域の商工業の中心地を担ってきました。
 大和三宝工業協同組合の三宝の年間製造個数は、約17万個です。 製造工程のほとんどは手作業で行われていて、特に木材を曲げる工程には、熟練の技が要求されます。

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 三宝は、天皇への献上物の器として使用されたものが始まりとされています。三宝と奈良県吉野地域との関係は古く、南北朝時代、後醍醐天皇が吉野に都を遷された時代にまでさかのぼります。明治の初期には、近隣からも下市町に技術者が集まり三宝などが大量に生産されるようになりました。 この地で生産される三宝は、吉野の桧が持つ粘りの強さから高い品質を誇り、現在でも多くの祈りの場所で使用されています。

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 三宝は、胴と呼ばれる台の三方向に穴が空いているところからその名がつけられ、正しくは「三方」と書きます。 ただ、仏法僧の「三宝」に由来されるところから、多くは「三宝」と書かれます。 胴にあけられた穴は、「刳型(くりがた)」や「眼象(げんしょう)」と呼ばれ、宝珠の形をしています。 供物を載せる部分は、「折敷(おしき)」と呼ばれています。 三宝を飾る時は、折敷のあわせを手前にします。

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 材料には吉野桧の背板を利用しています。三宝の材料は良質な人工林で育てられた吉野桧です。人が丹精込めて育てる桧は、木目の縦の線が端正で、色艶がよくて光沢があり、他の地域の桧に比べ色合いの美しさが特徴的です。まさに神饌などを供える器にふさわしい品格があります。そのため、昔から伝わる古い技術を伝承し続け、培ってきた技術力とで、大和三宝工業協同組合の三宝は全国シェアの80~90%を誇っています。

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 また、下市の三宝技術は、日本遺産に登録されています。
「日本遺産(Japan Heritage)」とは地域の歴史的魅力や特色を通じて、我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産(Japan Heritage)」として文化庁が認定するものです。